都会ベースの考え方、田舎ベースの考え方

2015−06−10−01

都会と田舎ではそもそもの考え方が違う気がします。マスコミ等、雑誌もそうですが、特に全国向けに作られている。都会ベースというか「東京」ベースになっているのがどうかと思う。例えば、距離を表す時、これだけ近い(遠い)って言う時に

「渋谷〜◯◯間なんですよ〜」
「おおーそれは遠い〜!」

だとか

「ハチ公くらいの大きさです」
「それくらいですか!分かる分かる」

いやいやいや、渋谷から◯◯間までとか、ピンとこないしハチ公くらいってどんくらいよ。ってコレもピンとこない。誰が視聴しても分かりやすく作るものじゃないのかな?

都会の満員電車で通勤してる人たちを取り上げて、これだけ大変ですよ。痴漢に間違われて〜だとか。満員電車は乗った事あるので分かります。ですが、その中で新聞みたり、スマホみたりとか通勤時間を利用してって言われても、本当ピンときませんよ。

それなら、通勤ラッシュ時、車の渋滞が大変ですの方がしっくりきます。自分は田舎住まいの田舎者なので、余計そう思うのかもしれませんが都会ではそうないと思います。主要都市の都会でも車通勤している人はいると思いますし、どう考えても全国的にみても車通勤している人の方が圧倒的に多いと思うんですよね。

車通勤の渋滞の時間をどう利用するかって、話題の方がしっくり来ますし、刺さると思うんですよねぇ。やれる事は限られるけど、スマホで電子書籍の読み上げをさせて、本を読むようにするとか時間の有効活用とかね。そういう話題はローカルでやればっていうなら、全国版とか全国放送って言わないで欲しいよね。都会ローカルって言って欲しいものです。

制作側が根本から考えを変えてもらわないと、「???」がずっとこのまま残ってしまうでしょう。だから何?って言われたら終わりだろうけど、こんな考えもあるんだと頭の片隅にでも置いといて欲しいものです。

余談として、同僚とかと車ですれ違った時に妙に嬉しいのは田舎だけでしょうか?(笑)ダンプやバス等の運転手も笑顔で、クラクション鳴らしたり手を振ってたりするのを見て微笑ましくなったりしてます!

ゆるく考えていこー。