めいたくハウスへいらっしゃい!かちこ(@kachiko_0712)です。
わたしは人と話す時にいろいろ考えすぎてしまうことが多いです。日常のささいな会話でも「これを言ったら怒られるかな」とか、「自分はこう思って言ったけど、ちゃんと伝わっているんだろうか」などと気にしすぎて疲れちゃうことがあります。
相方からは「気にしすぎんでいいよ。普段からそんなおかしなことは言ってないから大丈夫やで」と言われるんですが、気にしすぎはなかなか改善されない。
話しかけられると、それなりには会話できます。付き合いが長く、相手の性格がわかってくるとまあまあ話せますが、正直に思っていることの半分も口にできません。なぜそうなったかは子供の頃の経験からだと思っています。
母に怒られるから
わたしの母はしっかり者で、はっきりした性格で強い人です。ダメなことはダメと言えるタイプ。そして頑固です。小さい頃から言うことを聞かない、約束をやぶったとなると閉め出されて父が帰ってくるまで家の前で反省させられました。
約束を守らず【叱られる】のは小さいながらも納得できていました。それ以外で理不尽なことがいくつかあり、大げさかもしれないけど、トラウマになっているのが「余計なこと言って」といつまでも【怒られる】ことでした。
自分の意見を言うのは余計なこと?
今でもはっきり覚えてるのが、幼稚園に通っていた5・6歳の頃。節分の日近くに、家で母が冗談交じりに「言うこと聞かな、お母さん怒ったら鬼さんみたいにツノ生えるで!」と言ってきたんです。子供心に「どうしよう。えらいこっちゃ!」と思い、次の日に幼稚園の先生に話したんです。「かちこのお母さん、怒ったらツノ生えるって!どうしよう」って。
母が迎えに来た時に先生がその話をしたんです。そしたら、帰り道で母が「あんたは何でそんな余計なこと言うの!お母さん恥ずかしいわ」と、家に着くまで怒りながらブツブツ言われました。聞いたことをそのまま言っただけでそんなに怒られるなんて思わなかった。
その後も親戚で集まっている時に、「かちこはどう思ってるの?」と聞かれたから、自分の思ったことを話すと後で「あんなこと言って!余計なこと言わんと、分からないって言っておけばいいのに」と怒る母…しょっちゅう怒られました。大人になった今でもあの会話で怒られる意味がわからんって内容です。
なぜそれがダメなのかを説明されず、ただ怒られる。「わたしが喋ることは余計なことばかりなんだ…」と思うようになり、人の顔色を伺うようになってしまいました。同じように意見を求められたら、母の顔色を伺って育ちました。
大人になり、働いていろんな人と接するようになって自分の意見を言えるようになってきました。それでも自分の意見が他の人と違うと「ヘンなことを言ってしまったのかな」と落ち込むことが結構あります。常に正解が分からないまま、余計なこと言ってないかなって思ってしまいます。
「親の考えが絶対」ではない
母からしたら、自分の生きて来た中で「これが正解」っていうのがあって、わたしの意見はその正解から外れていたんでしょうね。でも、わたしからすれば母の正解が絶対あっている訳ではないと思うし、わたしの意見や考えの何がダメかを教えてくれないから、分からないんですよね。聞いても「口ごたえ」って言われたり、「偉そうに意見言って」って答えが返ってくるんじゃ何も変わらないのに。
「人の考えはそれぞれ違って当たり前じゃないですか?」
愚痴っぽくなってしまいましたが、子供は自分のコピーじゃないんだから、考えの押し付けはダメですよね。たいていの人は子供が突拍子もないことを言っても「まあ、子供の言うことだから」と許してくれます。時には「なるほど!その考え方もあるのか」と気づかされることもあります。
本当に失礼なことを言ってしまったら、親がまず相手に謝って、子供にちゃんと教えてあげればいいじゃないかって思います。それで子供は自分で【言っていいこと悪いこと】の区別がつくようになるから。失敗があって成長するのが人間ですよ。わたしみたいに顔色を伺って自分で判断ができなくなる大人になってはいけない。
さいごに
わたしは今でも母に対しては本音で会話できません。唯一、相方の【めいたく】とは何でも話せて、隠し事なく思ったことを話せます。それは相方がまず話を聞いてくれるからで、人と違っていいじゃないか!という考えの持ち主だからです。
今更ながら、自分らしく生きていけるようにリハビリしている感じです。
そして相方を通じて知り合った人たちも自分らしさを大切にしている方がたくさんいて、日々勝手に励まされています。
時間はかかるかもしれないけど、自分に素直に生きるぞ!
かちこ