めいたくハウスへようこそ! かちこ(@kachiko_0712)です。
Twitterをご覧いただいてる方はご存知の通り、わたしはゆる〜い人間です。
見た目のゆるさは自己管理不足なので反省ですが、中身(性格)のゆるさは自分でも結構気に入っています。
今でこそ「ゆる〜くマイペースに」とか「前向きに楽しく」と言えていますが、しんどいこともありました。
今までで一番しんどかったこと思い切って吐き出してみます。わたしにとって過去の闇の中で一番深い闇。
そしてなぜわたしが相方を褒めまくるのかも分かります(笑)
わたしの偏った考えもありますが、最後までお付き合いください。
結婚・出産・離婚の苦い思い出
今のわたしの相方【めいたく】と出会う前に一度結婚していました。
結婚後 出産して母親になり、結婚してから10年目に離婚しました。
詳細は言えませんが、主に嫁姑の関係や独特なしきたりや風習に着いていけなかったこと、味方がいなかったことです。
自分の環境を受け入れられず、ささいなことも嫌になる。
相手の実家のそばに引越した結果、自分の思い描く生活とどんどん離れて行きました。
- 引越したら監視される生活に⁈
- 当時のパートナー(夫)に共感されず
- 義母ルールを押し付けられる
- 世間を知らなすぎた
- 子供とたくさんの時間を一緒に過ごしたいのに・・・
子供が生まれてしばらくして家を建てることになり、相手の実家のそばに引越しました。
当時一番辛かったのは、監視されているかのような生活だったことです。
大げさだと思われるかもしれませんが、家から一歩外に出ると様子を見られていていろいろ詮索(せんさく)される。
友人が家に来ると、後で「あの子誰なん?なんの話したん?」と、どんどん詮索される。
わたし達が出掛けて帰ってくると、車を停めている間に出てきて待っている。毎回「どこ行ってたん?」
防犯上、玄関の鍵をかけるんですけど「自分が来たい時に家に入れない」と言われ怒られる。同居と変わらなかったです。
情けないことに自分の口から嫌なことを嫌と言えず、当時の夫に相談しましたが反応は薄く何も変わりませんでした。
本当は子供がもう少し大きくなってから仕事に出ようと思ってましたが、我慢できず保育園に預けて仕事に出ました。
自分の地元じゃないから相談できる知り合いもいない。そういう方法でしか逃げることができなかったのです。
幸い子供はすぐに馴染むことができ、自ら楽しんで保育園に行ってくれてました。
しきたりや風習と言っているのは、ほとんどが義母ルールです。
嫁はこうあるべきとか、自分もこんなことあたりまえにやって来たとか、自分の娘やご近所さんはこうやってるからあんたもこうせなあかん! というあまり納得できないことが多かったです。
当時のわたし、自分の実家がそんな田舎の付き合いがあるところではなかったし、自分自身が世間知らずな部分もあって世の中をよく分かってなくて着いていけなかったです。
仕事に行ってる間は没頭して忘れられるんです。
終業時間になって「早く子供に会いたい、でも家に帰りたくない」毎日を繰り返していました。
結婚当初は離れて暮らしていたのでこうなることは思いもしなかった・・・
義母は、わたしに関わる時間をもっと違うことに使ってくれて良かったのにって思います。
自分が逃げることでいろいろ失った
その後、いろいろ我慢できないことが重なり、わたしもちょっとおかしくなってしまいました。
- 実家に帰省を装い別居を考えるが、子供だけ連れ戻される
- 親権・慰謝料・財産分与で1年半揉めてクタクタになる
- 支えてくれた人がいるのに子供を引き取れず、一人ぼっちで心にぽっかり穴があく
- 離婚成立から3カ月で相手が再婚。子供との別れを決意する
- 自分でまいた種だが「とにかくしんどい」
子供が小学生になった頃はボコボコになる程の夫婦喧嘩も増えてきて悪影響しかないと思うようになりました。
長期休暇に帰省するだけと装って、もう家に帰らないつもりで子供と自分の実家に帰りました。
しかし両家親を交えて話し、学校もあるからと子供だけ戻ることになりました。
この時、学校なんかどうにでもなると自分の元に引き止めるべきだった。もっと慎重になっていれば良かった。
わたしは実家から離れて一人暮らしをすることになり、夫からは
「離婚する気はない、離婚するとしても親権を渡さない」
「離婚したかったら家庭を壊した責任で慰謝料払え」と言われました。
1年半近く争った結果、慰謝料・財産分与一切なしのうえ子供を引き取ることができずに離婚成立、当時は自分の親にも責められひとりぼっちになった気分でした。
古くてボロい所でしたが、子供を引き取る予定の間取りで部屋を借りていたので、がらーんと無駄に広い・・・
離婚成立までは諸事情あり、安定した仕事につくことができず。「寝る場所があるだけ、ありがたい」と思う貧困生活でした。
職場では明るく装って、家に帰ってひっそりと生活する毎日でしたが、職場に1人親身になって関わってくれる人がいたので救われました。
ずっと「子供引き取れたら、うちと同い年やから学校行事は一緒に行こうな」と元気づけてくれていました。彼女には本当にお世話になりました。
離婚成立してから、3回子供と会えました。3回目に相手から再婚すると聞き衝撃でした。ついこの間まで「離婚するかしないか」と争っていたのにね・・・
子供にとって母親は必要だし、母親になっていいと思ってくださる方がいらっしゃるなら、子供のために会わないほうがいいのかなと考えました。
子供は優しくて思いやりのある子なんです。なのに大人の事情で辛い思いをさせてしまいました。
どちらの母にも気を遣うだろうから、1人逃げてしまったわたしより これから生活を共にする母を大切にして欲しかったんです。綺麗事と思われそうですが、本当にそう思いました。
そうは言っても簡単にリセットできず「何も考えたくない、何もしたくない、でも誰にも甘えられない」毎日しんどいとしか思えなかったです。
心に隙があると「子供どうしてるかな」と思ってまた落ち込んでしまいます。
自分で選んで逃げてきた結果をずっと責め続けていました。
数年後の相方、相方家族との出会いが救ってくれた
離婚から数年経って、今の相方【めいたく】と出会いました。
わたしは「子供を見捨てたんだから、わたしだけが好きなように生きるなんて許されない」と思ってました。めいたくはそんな気持ちを変えてくれました。
「癒し系」とはほど遠いめいたくですが、何でもまずは受け入れるという器の大きさがあります。
良いことはたくさん褒めてくれるし、ダメなことはダメとはっきり言ってくれる。わたしの考えも尊重してくれる。
めいたくには 心を開いてそれまでのことを全て話すことができて、付き合ってすぐに実家に連れて行ってくれました。
しかも、「急に行ったほうが面白いって! 」と言って両親に わたしが一緒に帰ることを内緒にしていたんです。
当時の心境は「どんな人達だろう」と不安でした。つい過去のことを思い出してしまいます。
さすがに「え?なになに?」って感じでびっくりされましたが、その後わたしのほうが驚くほど歓迎してくれました。
初めてあった日の帰りにお母さんがハグをしてくれて「会えて嬉しかった〜! ありがとうね。またいつでもおいで! 」と声をかけてくれて、わたしは帰りの車の助手席でずっと泣いてました。
めいたくの両親も過去のわたしのことは知っています。「生きてたらいろいろあるもんね」
「自分達の好きなようにすればいい」「言いたいことはちゃんと言わなアカンよ」
といつも言ってくれる。そして、ちょっとしたことでも「ありがとう」と喜んでくれる。
そんな両親の元で育った相方、めいたくは毒舌な時もありますが人を大切に思い楽しく生きる まっすぐで素敵な人です。
この出会いがなかったら、わたしは今も闇のままだったと思います。自分らしく楽しく生きることを認めてくれた人達です。
さいごに
今の出会いは本当に恵まれていると思っています。
でも、もし過去のことがなければ、今こんなに感謝したり喜んだり幸せだと思うことが出来なかったかもしれません。
過去のわたしがもうすこし相手の気持ちを受け入れられたり、尊重できていたらもっと状況は違ったかもしれません。
わたし自身が人の気持ちを考えるということが足りなかったとも思います。分からないことや思っていることをちゃんと伝えていればうまくやっていけたんでしょうね。
お互いが自分の主張ばかりで譲り合えてなかったと反省しています。
だから、今は「相手がどういう思いでそう言ったのか」
「自分の考えを押し付けていないか」「相手のことを決めつけていないか」を意識しています。
そして「無理せず自分にできることを自分のペースで素直に楽しむ」ことで気持ちにも余裕ができ、自然と考え方が前向きになれてます。相手に対してありがとうという気持ちも生まれます。
自分に無理があると相手を思う余裕がなくなるので、自分を大切にするって大事なことですね。
自分にとって辛い経験が今の「ゆるかちこ」を作ってくれたので、これからは自分の過去も大切にしようと思います。
うまくまとまらず、長いお話になってすみません。最後まで読んでくださりありがとうございます。
いろいろな自分を好きでいてください。
かちこ